その地に歴史あり~京都御所周辺の史跡・石碑~

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今回は京都御所周辺の史跡・石碑を紹介します! 

普通に歩いていると目につきにくく気づかないかもしれませんが、よく周りを見渡してみるとポツンとある史跡・石碑が目に入ります。 

近衛家別邸 御花畑屋敷 

まず紹介するのは、幕末の転換点として知られる薩長同盟6ヶ条の締結が行われた近衛家別邸 御花畑屋敷の碑です。地下鉄鞍馬口駅から西に徒歩3分の場所にあります。 

 

坂本龍馬の仲介で京都を中心とする幕末の政治世界において雄藩として大きな影響力を持った薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎との間で秘密裏に結ばれた場所です! 

現在はおしゃれなカフェの前に建てられています。  

京・薩摩藩邸(二本松屋敷) 

 

地下鉄今出川駅近くにある現同志社構内の敷地は、幕末に薩摩(鹿児島)藩々邸があった所です。幕末京都において政治的な重要拠点でした。 

京都薩摩藩邸がはじめに中京区錦東洞院に置かれました。文久2年(1862)にここに大きな藩邸を設けました。 

明治時代になると、京の薩摩藩邸は京都府に接収民間に売却されました。そして人手を経て新島襄が購入し、今に至ります。 

土御門烏丸邸 

京都御所西「護王神社」の直ぐ北(京都ガーデンパレス敷地内)に設置されています。 

 

十世紀頃に村上天皇の皇子具平親王の邸宅が造営され、十二世紀に至って、曾孫 源師時(みなもとのもろとき)の邸宅土御門第となりました。白河院近臣の権勢者・藤原顕隆(ふじわらのあきたか)の提案で新たな里内裏として改築が行われた。最初の里内裏を営み高羽天皇から 崇徳、近衛と続く三代、二十四年もの間、天皇の御所となりました。 

しかし、1864年蛤御門で起こった禁門の変で起こった戦火により全焼してしまいました。 

旧二条城跡 

丸太町から徒歩5分の平安女学院の横に設置されています。 

 

徳川氏の二条城と区別して、旧二条城、二条古城とも呼ばれています。現在は旧二条城跡として知られています。また、創建当時は二条城とは呼ばれておらず、この呼称は江戸時代になって用いられたものとなります。当時は「武家御所」「武家御城」「公方様の御城」「二条武衛陣の御構」などと呼ばれていました。 

一度焼失しましたが、永禄12年(1569)に、織田信長が武衛陣跡地を拡張し、室町幕府最後の将軍足利義昭 (1537~97)のための旧二条城を建設しました。 

現在はこの場所に平安女学院が建っています。 

 

 

今回は京都御所周辺の史跡・石碑について特集しました 

歴史と共に町の雰囲気を感じながら昔この場所にこのような出来事・建物があったんだなとしみじみと考えられます。 

まだまだ紹介しきれていない様々な時代の史跡・石碑がありますので、歴史に興味のある方は一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。

(記事作成 大谷大学三回生 角本聖河)

 

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